非理性的な性行為のすすめ

若いころの男性は、とにかく「やりたい」という本能的な気持ちだけで女性に突き進んでいきます。女性の方は「やられたくない」というポーズをとって、男性を焦らします。そうした女性を満足させようと、男性は性的テクニックを磨き、頭で考えたセックスに没頭します。愛撫のし方やピストン運動の速さを操作して、より高く女性をエクスタシーに向かわせようと努力をします。結果として、男も女も、理性的な性行為をすることになっていくものです。本来、性交は楽しむために行なわれるもののはずですが、頭で考えるために「やるもの」になったり「やられる」ものになったりしてしまいます。

ある程度の年齢になったら、そうした理性的な性行為を卒業し非理性的になるべきでしょう。性行為は一種のドラマです。現実の世界と同じように予想できることだらけではつまらないし、とんでもないハチャメチャなことが起きれば楽しくなります。普段は普通の夫婦として暮らし、まともなビジネスマンとして活躍している人も、ベッドの中では実生活の規範や常識や気取りやカッコつけは全て取りはらい、自らを解放すると良いでしょう。着ている衣をいかに素早く上手に脱ぎ去るかによって、その性交が豊かになるかどうかの決めてになります。

ドラマの中の本能的なカップルになってみることが大切です

夫婦がベッドの中で、反社会的、日常識的、非理性的になればなるほど、セックスは楽しくなります。愛撫をしなければ、とか、どこが感じるの?とか、早く勃たせなければ、もっと激しくピストン運動しなければ、などと考えながらしていてはいけません。何かの義務か仕事のような行為になってしまいます。頭の中で義務感がぐるぐる回っていては、性行為の本来の楽しみが損なわれてしまいます。

セックスは楽しむためのものです。非理性化されたふたりが、互いの体を単純にむさぼりつづければ、それは動物的な行為になり心のタガがはずれて解放され、それまで感じたことのない喜びに包まれることでしょう。心を解き放つことに重心を置けば、セックスはそれまでとはまったく異なった次元に上がっていきます。

気持ちいいかどうか考えなくても、気持ちいい

男性も女性も、普段の性生活の中では考えに考えているはずです。特に男性は相手の反応を見ながら、「まだ興奮が十分ではない」とか「そろそろイキそうだな」と計算しています。それに合わせて、自分自身の射精タイミングを計ったりしているわけですので、射精の瞬間には「気持ちいい」と同時に「うまくいった」という達成感も覚えてしまいます。セックスは仕事ではありませんので、「予算の達成」は必要ありません。

単に相手の体をむさぼりたい、自分の体をむさぼって欲しいというむき出しの欲望をストレートに表現して抱き合うことが、新たな性行為のステージです。そうすることで、それまでは乳首をなめられても少しも感じなかった男性も、急に激しくあえいだりするようになったりします。

性行為はドラマと同じ。色んな波があってこそ楽しくなるものです。セックスというドラマの主人公になることができれば、本当に楽しく愉快で、笑いと悦楽がこみあげる行為を体験できるようになるでしょう。